家系図作成・家系調査専門。製作実績1000件以上。日本全国承ります。

家系調査の実例

ご先祖たちの喜ぶ声が聞こえるよう  

では、ここで調査員が実際に調査した実例を振り返ってもらいながら皆さんに紹介することにしましよう。  

 山梨県甲府市にお住まいの吉田さんから家系図作製のご依頼がありました。調査は基本に逆らわず戸籍謄本、除籍簿の丹念な整理からスタート。結局、さかのぼること六代、約百五十年前のご先祖にまでたどり着くことができました。
 「明治時代後期、吉田さんのご先祖は長野県諏訪郡上諏訪町にお住まいだったことが解りました。現在の長野県諏訪市高島一丁目の辺りです。さっそく該当地域の電話帳と住宅地図を広げ、吉田姓の分布状況を調べたところ諏訪市内に四十三軒、うち高島一丁目には三件の吉田姓を見つけることができました」
 この後、田中調査員は吉田家の菩提寺であるお寺に足を運び墓地調査に入ります。

竜胆車

「代々、戒名に院号が付いていること、および墓石の形から、たいへん由緒ある武家の家系であることが解りました。また、直接墓石を見ることで家紋が竜胆車(りんどうぐるま)であることも知ることができました」

 吉田家が武家であったため、古文書を探せばこの家系をさらに詳しく知る手がかりがあるかもしれない
と、高島藩士系図を探ってみたところ、その読みは正しく吉田家の系図を発見、元の姓が原であり、真田信之公に仕えていたというところまでが明らかになりました。
 戸籍謄本からご先祖の居住地を割りだしたところ、近くに吉田家の菩提寺および墓地があり、墓石からご先祖の事跡や家柄が次々と判明、そしてその土地に残る古文書を探ることで吉田氏の系図を発見するという、最もスムーズに調査が進んだ例のひとつです。
 
 
 
 次にご紹介するご依頼主は戸崎さんという静岡県清水市にお住まいの方です。戸籍謄本、除籍簿の調査によって、こちらも六代、約百五十年前までさかのぼることができました。ご先祖は、静岡県安倍郡の小瀬戸村(現在の静岡市小瀬戸)に住んでおられたことが判明したため、同様に該当地域の戸崎姓の分布状況を調べたところ、小瀬戸には十一軒の戸崎姓があり、調査は比較的スムーズに進むのではないかと思われました。
 電話帳や住宅地図も調べ終えた調査員は、いよいよ現地に出向いて菩提寺を探し出すことにしました。
「現地に出向いて色々調べていくうちに戸崎家の菩提寺が既に廃寺になっていることがわかったんですよ。ご先祖を調べていく上で頼みの綱となるお寺が影も形もないということは過去帳を調べることができないでしょう、だからご先祖の戒名や命日を知ることができないんです。もちろんお墓も残っていないのでご先祖の事跡や家柄を調べることもできません」
 しかし、こういったケースは年々増えてきています。
「あと一年早く来ていたら問にあったのに……」これは家系を調査する上で頻繁に耳にする声なのだそうです。

共同墓地

 土地の開発や区画整理などの関係でお寺やお墓を壊す場合、周辺のお墓をひとつに集めて共同墓地にするという策をとることが多いといいます。
「共同墓地になっているのをなんとか見つけ出せればと思ったんですが、戸崎家の菩提寺だったお寺が廃寺になったのは、最近のことではなく明治のはじめだということが解りました。役場に何度も問い合わせて、現在この地区にある共同墓地は昭和の四十年代に造られた新しいものだと知り、『ひょっとするとこの調査は長丁場になるかもしれない』そんな気がし始めました」
 現地で、僅かな手がかりも聞き逃すまいと調査をしていくうちに、戸崎さんの場合は本家筋も既に絶家になってしまっていることが明らかになりました。いよいよ窮地に立だされた調査員ですが、過去の経験からあることを思いつきます。

「お寺もない、お墓もないとくれば、後は人を頼るしかありません。年輩の方を見つけては『昔、この辺りで庄屋さんをしていた家を知りませんか?』と、たずねて歩きました。何人に声をかけたでしょうね……。
やっと耳より情報を得て訪ねたのは地元の小学校の校長先生のお宅でした。残された唯一の手がかりですからねぇ、お会いできるまではとても緊張しました」
 小瀬戸村で代々庄屋さんを務めていたという校長先生のお宅で、今も大切に『宗門人別帳』を保管されていました。事情をお話するとこころよく見せて下さり、細かく目を通していくうちに、そこまでの調査で明らかになっていたご依頼主の戸崎さんのご先祖に当たる方と同一の人物に行き当たったのです。

「『やった、つながった!』そんな時は思わず大声で叫びたい気持ちになりますよ。でも、おそらくそれは私たち調査員の声ではなくて、命を賭けてその家系をつないで来られたご先祖たちの喜びの声でもあるような気がするんです。家系の調査をしていると不思議な出来事もたくさん体験します。突然のひらめきが、後で考えてみるとその家のご先祖の導きだったのかもしれないと思えるような……。決して珍しいことではないんですよ」
 結局、戸崎家の家系図が完成するまでには九ケ月という期間を要しました。しかし、ご依頼主から数えて十代、三百年以上も前のご先祖までを辿ることができたのです。『姓氏家系大事典』によると、「清和源氏足利氏に戸崎氏があり、三河国戸崎より発祥」と記されており、小瀬戸の戸崎家もその流れを汲んでいることが明らかになりました。
 一時はすべての手がかりが絶たれ、調査も白紙に戻されるのではという不安すら感じました。しかし、ご先祖の守りと導きの中で壮大な家系図が完成し、ご依頼主の戸崎さんも大変満足していらっしゃるようです。

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